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石の鼓動

江崎誠致   双葉社   昭和48年

 不世出の天才棋士、坂田栄男の一代記である。いわゆるモデル小説である。
 著者は坂田栄男を史上最強の棋士と認識しており、まだ現役で活動しているうちに、この小説を書いている。
 坂田の囲碁にかける情熱と、囲碁以外のことに対する世間知らずともいえそうなことなどを、冷徹な筆で描写する。
 この中で紹介された図(右)を示す。
 坂田対高川の実戦に現れた図である。スミの白はどうなりますか。
「どうなりますか」とは、二人は白1・黒2を交換したあと、ここを放置して別なところを打ち始めたからだ。
1、白先でも白死。 2、白先劫。 3、白先生き。
4、黒先白死。 5、黒先劫。 6、黒先でも白生き。
 実戦では白が手を戻した。控え室にいたプロ棋士がだれも気が付かない手だったという。おそらく相手の高川も気づいていなかったらしい。

 さて小説は、
 同時代の高川との十年間預けられた決戦。七冠王を達成し、敵のいなくなってしまった最強の時。続いて後輩林海峯に覇者の座を奪われるまでの死闘。
 そのほか、「坂田の外のぞき」をはじめとする数々の妙手鬼手。
 さらに青年時代の戦争。
 非力の坂田を徴兵し、重機関銃部隊に配置する戦局。銃を持ち上げる力もないのに、どうやって操作せよというのか。
 戦死するよりも、古参兵に虐められて死ぬ方が多くなったとき、もはや軍の末期状態である。そんなときでも、あまりの非力にビンタを受けたこともない。これで生きて終戦を迎えたのは幸運としかいいようがない。
 プロ棋士以外の、コンケイさんこと近藤啓太郎や川端康成あるいは著者などの文壇とのつきあいもある。
 著者は坂田を、昭和囲碁山脈の一角に一天高く突きあげた鋭峰であり、活動する火山である、と評している。
 話は「名人」のように、連作短編の形をしている。
 名人になったとき。本因坊に挑戦するまで。子どもの時。ここからは時系列に進行する。クライマックスを最初に書く小説の技法である。
 院生時代。新布石の時代から徴兵をえて戦後になる。31歳にして、初めて本因坊に挑戦する。呉清源との六番碁と十番碁。高川との本因坊戦で本因坊奪取。藤沢秀行から名人を奪い、時代の覇者となる。だが、次の覇者たる林海峯が足元に迫っていた。そして23歳の林海峯に名人を奪われる。それから数年にわたり二人の死闘が続き、時代の覇者の座を奪われるまで。
 カミソリ坂田・シノギの坂田・自在の坂田などと言われた。こういわれるのは超一流棋士の冠ではないか。
 初めの問題図の進行を示す。白先で劫だった。それでも、勝負は高川本因坊の勝ちであった。

 この図は、一手ヨセ劫であり、控え室の予想図である。

 最盛期には年間三十戦して二敗。本因坊本戦十七連勝。棋戦の在り方が違うため、直接の比較はできないが、この成績は、江戸時代の両棋聖や昭和の棋聖とも言うべき呉清源と比較しても遜色がない。そしてここに紹介したような名手鬼手が色を添えている。

 この本は昭和48年(1973)4月25日発行である。買った日付は二日前の23日になっている。いまネットで検索してみると1979年の本が多い。そちらは改訂版か再版か。

謫仙(たくせん)

(2008.5.8)

信ずる弱者は救われる?

 強い相手と打つ時、昔の私は45分程度の対局時間ではいつもアップアップしていた(関連する話はこちらをご覧ください)が、最近は35〜40分もあれば何とか打てるようになった。理由はひとえに“学習能力”。ン十年間にわたる人生の中から成功と失敗の体験をかき集め、それらの傾向と対策をひねり出し、再び同じようなシーンに遭遇しても慌てず騒がず賢く明るく処理する。これぞ、私が生来育んできた最大の長所と自覚したからだ。もし私が犬になって、条件反射の研究で知られるパブロフ博士に出会ったなら、他のどの犬よりも真っ先によだれを垂らして天才犬ともてはやされるに違いない。

 この学習能力を支えるのは、性善説に立脚して相手をとことん信頼する私固有の美学。もっとも勤務先では、「お前は人を信頼し過ぎて甘い!」と上司から叱られ、「それって結局責任回避なんだよね」と部下からは皮肉られたりしたのだが、そんなことはさて措いて——。事を進める際、相手や仲間をアタマから信頼すれば必ず円滑に行く。信頼すなわち省エネルギー。コストパフォーマンスと言い換えてもいいだろう。結果の良し悪しさえ気にしなければ(この達観が大切!)、これで万事つつがなく進行するし、労力も省けると言うものだ。

 碁でもこの流儀を通している。将棋の渡辺竜王は相手が考えている時、①100%の集中力で3通り程度の変化を考える②集中力を落として3通りの変化を考える③1つに絞って考える④どれを指されるかわからないから何も考えない——のうち②を選ぶことが多いと言うが、私はほとんどの場合④。脳を極力休ませ、相手が打った手だけに直感的に反応できる状態にしてなるべく時間をかけないようにするのだ。

 正確に言うと相手次第で少しずつ違えるのがきめ細かい私流。まず3子以上置かせるシタテ相手なら、どんな手を打つか見当もつかないから当然④。私と同等または1子か2子置かせる程度のライバルには2通りある。波長が合ってかなり相手の打つ手が予測できるなら②、まるで棋風が違うか、相手の意中をいくのを嫌って互いに反発ばかりし合う相手なら碁の流れを読んで勝負を争うより、クイズもどきに相手の着手をどれだけ当てられるか、その日の自分の直感の鋭さを占うことに関心がいく。「限りなく④に近い②」と言えるかもしれない。

 しかしウワテが考えた場合は別。特にプロ棋士の指導を受けている場合、プロの着手はほとんどノータイムに近い。たまに考えてくれる時は「ここは考えどころ」とシタテの私に教えてくれるわけだから、考えなければ失礼になる。渡辺竜王が言う①だ。と言っても、プロは大石の死活が絡むような絶対的な手どころは読み切っていて改めて考えることはあまりない。ほとんどは部分的に一段落して次の展開をにらんでおられるようだ。だから私も、それまで打ってきた部分は一応片付いたと見なす。つまり“急場”はなく、“大場”はどこかが焦点になっていると考えるわけだ。少々危なっかしい形でも、ウワテが手を抜いたなら、もうそこには手がない、あるいはしつこく手出しをしてもかえって損になると決め込む。間違っても石を取りに行くような剣呑なことはしない。つまり“全面信頼”の精神だ。

 かくして私の対局時間は着実に短縮していったのだが、問題が一つ残った。初対面のアマチュア相手とどう打てばいいか。特に困るのは、序盤、中盤、終盤で打ち方が違ってくるタイプ。序盤に相手が私でもわかる範囲のヘボ手を打ってくれば「これはいただき」と舌なめずりして楽観気分に浸ってしまうし、いかにも手練れ風にうまそうな手を打たれると「これは強い」と萎縮する。序盤の打ち方で相手の棋力や棋風を信頼し、それを基に私なりに綿密に策戦を立てて打ち進めていくと中盤から終盤にかけて必ず裏切られ、「こんなはずではなかった」と臍をかむ結果になるのだ。

 我が好敵手のかささぎさんは、この点で私とは正反対。もう数年前になるだろうか。二人揃って初めて参加した囲碁大会で、かささぎさんはたまたま私と同じ相手ばかり8人と組み合わされ(かささぎさんと私は知人同士ということで組み合わされなかった)、私が負けた相手をすべて破って見事優勝を勝ち取った。何しろ初手合いや初物に強いのだ。強そうな相手とぶつかってくよくよいじいじ悩んでいる私を尻目に、かささぎさんはあくまで無頓着、雲の上でも歩いていきそうな勢いを見せた。この頃から、私はかささぎさんを教祖とするノーテンキ教に帰依する心を深めていったようだ。

 昔、“カンピューター”と異名をとったナガシマという大打者がいた。鉄腕イナオ投手は精妙・緻密な配球を組み立ててフルスイングを防ぎ、ぼやきのノムラ監督は得意の“囁き策戦”で迷わそうとしたが、いずれも常人では考えられないような打撃で手痛い一打を浴びた。かささぎさんはそんなナガシマ選手に似たところがある。そう言えばこの5月、新たなアマチュア囲碁大会が開かれるらしいが、かささぎさんは必ずや初物を獲ってこられることだろう(私はさびしく祝勝会事務局を務めることにしよう)。

 いつしか私は好人物をさらけ出して自分を脇役に貶めていたが、それでは私が汗水かいて積み上げてきた学習能力と相手を信頼する美学はどうなるのか。思わず私は、「神に問ふ、信頼は罪なりや」と叫び出したくなる。しかし文豪ダザイ風に言葉を飾っても今日ではいかにもダサい。むしろピッタリ来るのはこちら。「私はすっかり翻弄されて、かわいそうなほど苦労させられているんです。何を信頼すればいいのか、是非教えてほしい」——。

亜Q

(2008.5.1)

池上線〜初代四天王へのエール

 古い電車のドアのそば/二人は黙って立っていた/話す言葉をさがしながら/すきま風に震えて——。4月19日付朝日新聞別刷り『うたの旅人』ページに70年代のヒットソング『池上線』が取り上げられていた。ユーミンの『中央フリーウエイ』が出た76年にシングル盤が発売され、70年代のフォーク名曲集などには必ず選ばれる定番。現在まで息長く80万枚を売り、何人もの歌い手がカバーした。作詞は、当時情報デザイン関係のベンチャー企業を経営していた佐藤順英さん(55)。「あの歌を世に出したくて作詞家になった」という話を紹介しながら、池上線の古びた車内で気まずく沈黙する1番、駅を降りて家まで送られる途中、恋人に思わず抱きしめられる2番の詞をたどりながら、別れの具体的な情景と「駅に残した切ない記憶」が物悲しげなメロディーに乗って伝えてくれる洒落たコラムだった。

 この曲にはささやかな思い出がある。当時20代から30代に向けて疾走(迷走?)していた私は、仕事が済んでもまっすぐ家路につくことはなく、いつも仲間たちと飲み歩いたり麻雀したり遊び呆けていた。教祖は植草甚一さん。早大建築科を中退し東宝に入社後、映画、ミステリ、ジャズ、ファッション、古書などを語り、新雑誌『宝島』の生みの親。「遊ばざる者働くべからず」などと若者に説いたカッコイイおやじだった。私はこの手の御仁にすぐかぶれるタイプなのだ。はしご酒の終着駅は渋谷・並木橋の「さくら」というナイトクラブ。そこに『池上線』を作曲し、自ら歌った西島三重子さん(とても清楚で可愛らしかった!)がキャンペーンに来ていた。もちろん私はドーナツ盤を買い求め、握手とサインをもらった。この頃は国鉄のストがたびたびあり、私は会社が用意してくれたホテルには泊まらず池上線沿線の友人宅にこれ幸いと居候したりもしていた。

 千寿会講師の小林健二さんにはもっと生々しい記憶があるようだ。75年に入段する際に最後に立ちはだかったのが池上線沿線に住む院生仲間、新海洋子現五段(女流最強位2期の実力者)。この勝負を制してめでたくプロ入りを果たした健二さんはその後、別の友人と沿線のアパートで暮らした経験もあるらしい。東急池上線は東京23区の南部、五反田—蒲田間10.9kmの住宅街を緑色の古びた3両編成がワンマンカーで走る。15の駅間は短い。そのどこかの駅の近く、踏切を渡ったあたり、貨物列車が通るたびに揺れる小さなアパート。阿久悠が上村一夫と組んで創作した『同棲時代』が漫画や映画になって大ヒットしたこの頃、もしかすると健二さんは、裸電球がまぶしく、西陽だけが当たる狭い積み木の部屋を舞台に、時代の先頭を切って若者文化を謳歌されていたのかもしれない(関連する話題をこちらでご覧ください)。

 神田川、赤ちょうちん、私鉄沿線、積み木の部屋、翳りゆく部屋、愛しのエリー、岬めぐり、イチゴ白書をもう一度——。あの頃の若者(私もその一人)は一様に貧しく、自分が存在する意味を探しあぐね、長髪にひげを伸ばし、擦り切れたGパンで街々を歩く姿をよく見かけた。そんなイメージが最もピッタリ来る棋士を挙げるなら迷いなくこの人、片岡聡九段だ。舞台の名優・宇野重吉の血を受けた俳優、若い頃にはバンドを率いて『ルビーの指環』でレコード大賞もかっさらった寺尾聡にどこか面影が似て、ご本人も玄人はだしのドラムを演奏してジャズピアニストの山下洋輔さんとも競演したこともある(関連の話題はこちら。歳若くして天元位や新人王を獲得、コンピューター2世と称えられ、その後もチクン大棋士に本因坊七番勝負を挑むなどの活躍、最近また棋聖リーグに復活を決めるなど、相変らずの実力者振りを見せてくれる。

 この片岡九段とともに「初代四天王」と呼ばれたのが、千寿会名誉講師の覚さん、魔法使いと言われた王立誠九段(共に元棋聖位)、そして中京のダイヤモンド・山城宏九段。坂田・秀行時代から五強(大竹・林・加藤・石田・武宮)時代を経てチクン・小林光一の二強時代の後を襲うと期待された。覚さんはひと頃の絶不調を克服し、勝負強さが戻ったようだ。名人戦リーグでは依田、坂井といった実力者をきわどく制して挑戦者争いに前進し、王座戦最終予選では盟友・立誠に大逆転した。成長株の黄イソ七段との対局でも終盤の読み切りで大石を捕獲。棋聖リーグも河野臨天元との枠抜け戦に復活を賭けている。王立誠九段もこのたび娘さんがめでたくプロ入りを果たしたから、父親の面子をかけてがんばるはず。山城九段は惜しいところで棋聖リーグ入りを逃したが、まだまだ老け込む歳ではない。

 五番勝負以上の番碁を争う七大タイトルは今、敬吾(棋聖・王座)、ウックン(名人・碁聖)、高尾(本因坊・十段)の新四天王3人と、河野臨(天元)が分かち持っている。四天王の残る一人、羽根前棋聖は早々に本因坊挑戦を決めた。しばらくはこれらの面々と依田・結城・坂井・井山らを加えた世代が碁界を牽引することは確かだが、世は高齢社会。初代四天王も後期高齢者になるまでは先が長い。この際本来の実力を余すことな
く発揮して、「初代」の意地を存分に見せていただきたい。

亜Q

(2008.4.22)

偉くなる男の条件

 最近、銀座にいらっしゃるお客様を拝見していて、成功する男性のタイプが変わってきていると実感します——。と、聞き捨てならぬことをのたまうのは銀座のクラブを経営するますい志保ママ。1992年に明治大学仏文科を卒業、94年に会員制クラブ「ふたご屋」を開店、本業の傍ら執筆にも勤しみ、著書『いい男の条件』(青春出版社)が30万部を超えるベストセラーになっているそうだ。最新の経済誌『プレジデント』(5月5日号)が「銀座ママが見た『偉くなる男』旧型vs新型」と題して志保ママをインタビューしているので、以下つまみ食いさせていただく。
 
 少し前まではいわゆる「俺について来い」タイプと言うか、強力なリーダーシップを発揮する人が出世していたものでした。ところが今は、周囲の共感を得ながら進むタイプのほうが成功を収める傾向にあるようですね。成功する人は、必ずいいブレーンを持っています。人の意見にきちんと耳を傾けられるから、上からは引き上げられ、下からは押し上げてもらえる。いい男は人こそが財産だということをわかっています。義理人情に厚く謙虚で誠実だからこそ、ますますいい人が寄って来るのでしょう。

 誰が何と言おうと自分の道を突き進む人や、目的のためには争いも辞さないタイプが成功すると信じられていたのは組織がピラミッド型だった頃のお話。自分が中心になって人々を回していく現代の「コマ型組織」では、いかに周囲の人を巻き込めるかが勝負なのです。伸びる男はむやみに敵をつくりませんし、敵だった人たちさえ味方に付けてしまうものです。

 ここで引用を中断、「フン、もっともらしいことを抜かしおって」と反発を感じられた向きもあるかもしれないが、実はここからが快いくだり。耳の穴をかっぽじいて、いや目を皿にして読んでいただきたい。(以下、引用に戻る)

 最近どうも、若い頃から囲碁をなさっている方に成功者が多いように思います。囲碁というのは、いかにうまく石をつないで領地を広くするかが勝負でしょう。わずかな石を取った、取られたと言って騒ぐのではなく大局で流れが見えている人が勝つ。仕事人生もこれと同じことが言えるのではないかしら。

 いい意味で妥協することも必要でしょう。ビジネスを成功させるには、時には意見の違う相手にも歩み寄れる部分は歩み寄って着地させなければなりません。乱暴に急降下させるのではなく、いろいろな人の意見を聞き、誰のプライドも傷つけず、フワッと着地、いわばソフトランディングが上手であれば最高でしょうね。(中略)

 囲碁を嗜むような方は、勝つためのルール、定石をたくさんご存知です。だからこそ、ビジネスにおいても一つの勝ちに固執しない。何十年か後に勝つことさえできれば今日明日の勝敗にこだわらないところがあります。(一部略)時に撤退することは、決して敗退ではありません。負けるにしても明日につながる負け方をすればいいんです。

 志保ママはこの後も「偉くなる男」について薀蓄を傾けるが、引用はこのあたりまでにしておこう。ここまで書き進めるうちに、古い流行り唄が耳についてきた。昔の上司が酔うと必ず歌った田端義夫の『大利根月夜』——「愚痴じゃなけれど世が世であれば〜殿の招きの月見酒〜男平手ともてはやされて〜今じゃ今じゃ浮世を三度傘〜」。講談や浪曲でおなじみの『天保水滸伝』に登場する剣客、平手神酒(ひらて・みき)みたいに遠吠えしているザル碁の身には、そろそろ居心地が悪くなってきたようだ。ま、人生いろいろ。

 それにしても、志保ママは実際に碁を嗜まれるのだろうか。ザル碁の私から見れば、志保ママはいかにも碁の機微を熟知しているように見えるが、あるいは碁を打たないのに銀座ママ特有の勘で碁の本質を探り当てているのかもしれない。

 昔の棋士は結構銀座界隈を闊歩していたようだ。元文壇名人2期の千寿会友、ちかちゃんによると、サカタ・シューコーといった昭和の名棋士がその双璧だったらしい。当時は太っ腹のタニマチががたくさんいて、芸を磨くと称してお大臣遊びが幅を利かせていたのだろうか。最近の棋士はどうか。大スポンサーをつかまえている人は結構遊んでいるかもしれないが、若手はあまりご縁がないかもしれない。志保ママは「今はまだ若くてお金がない方でも、たまには自己投資の意味で高級な店に行かれてみてはいかがでしょう」とお誘いをかけていなさるのだが。

 それはそうと、我がごひいき棋士の一人、依田紀基元名人はタイトルから去った今、『大利根月夜』を浪曲調で毎晩うなっておられるのではあるまいか。ひょっとすると、あのチクン大棋士もかな?

亜Q

(2008.4.15)

教科書と小説

棋聖戦最終局24手まで

 古豪チクン大棋士とのフルセットの激闘の末、山下棋聖が3連覇を果たした第32期棋聖戦。3月29日の千寿会では久しぶりにチーママと高梨八段のコンビで最終第7局を大盤解説した。星と小目を組み合わせた並行型布石(ただし、小目の向きが異なる)で始まった決戦は右下の定石が一段落せず、中央から左辺に向かって果てしなくねじり合いが続き、白番山下の中押し勝ちで終わったのはご承知の通り(以下敬称略)。

 事の起こりは、どうやら下辺を3間に挟んだ白22だったようだ。中の白2子から軽く動けば普通らしいが、「自分も苦労するから下辺の黒も汗をかけ」と20代の若者が50代の大先輩を挑発した。案の定、古豪は挑発に乗った。上に向かわず、挟んだ白石を悪手にしようと1間開き(黒23)と根を下ろした。相手がそこまで力を入れるなら中の白は軽く見そうなものを、若者はすぐに動き出した。こうなれば止まらない。車の後押しみたいに互いに左辺へなだれ込み、ともかく寸時も石が離れない。

 その後、左上で大きなコウが発生して黒が白の大石を仕留めるが、白も中央の黒を取って取り残されていた右辺の白石が安定し、上辺と左辺で大きな地を得た。その間、劫材として打った黒十三の3などの疑問手があったようで、白が優勢を確立して押し切ったということらしい。

 この碁を並べてもらって私の印象は「ウヘーッ」の一言。ザル碁の私の感想など1文の値打ちもないが、ミミズのたわごとだと思って聞き流して欲しい。棋風のせいもあるかもしれないが、あまり気持ちが良くない。例えば山下棋聖の義兄である高梨八段は、「黒が頑強に黒23と打ってきたなら、そこで左下にかかり放しになっていた黒5を高くAに1間ぐらいに挟んで様子を見たい」と言っていたが、これなら私の腑にストンと落ちる。

棋聖戦最終局45手まで

ねじり合いの最中に黒が白3子の急所に迫った黒45も温厚でぬるい私から見れば近寄り過ぎで、左上の白にBかCあたりに柔らかくかかり、星の白へ働きかけながら中の白を睨む調子でゆっくり行きたい(この説は両先生に無視されたが)。

 いつしか齢を経た私にはあまり怖いものがない(「ノーテンキ」が行き着く先の「ホーゲンヘキ」の境地)。エラソーに抜かすなら、「大きな対局すなわち名局とは限らない」と言いたい。イソップ童話の「すっぱい葡萄」みたいな捨て台詞を吐けば、私にはまるで参考にならない。要するに私には難し過ぎる。その伝で言えば、古くは碁聖道策やカミソリ坂田、現代なら王立誠や韓国・中国の碁が当てはまる。あくまでも一時の観賞用で、あれよあれよと目を丸くしているうちに何が何だか判らない局面が進行し、並び終えればすぐに忘れ去るパターンだ。

 恥ずかしながら、「ザル碁の私にも参考になる棋士」を挙げさせていただこう。古くは本因坊9連覇の高川秀格、近くは武宮大風呂敷先生と小林光一名棋士。所詮上っ面しか理解できないのは言うだけ野暮だが、それでも志す方向やリズムを何となく感じ取れるようだ。逆に言えば、それだけ相手に研究されやすい側面もあるのではないか。

 ただし、好き嫌いとなるとまた話は別。因果なことに私は普段の行動原理そのままに、旗幟鮮明とか単純明快を避け、紆余曲折を経たオトナの隠微な世界を好むのだ。碁の世界でその代表者は、相手の棋風とその日の気分で動く小林覚。そして昨日の淵は今日は浅瀬に、青々した桑田がいつの間にか海になったりする依田紀基。そして意外かもしれないが、「豪腕」をうたわれる丈和がなぜか私には柔らかく感じられて好きなのだ。

 教科書に使われるのは高川・武宮・光一、小説に出るなら覚・依田・丈和——。勝手ながら、私はこんな風に理解している。

亜Q

(2008.4.2)

ふりゆくものは我が身なりけり

 きっかけは去年のクリスマス、チーママの愛娘アンナちゃんのピアノ演奏。そしてこの正月、日本棋院で開かれた打ち初め式には、昔おじいさんに連れられて千寿会に修行に来ていた奥田あやちゃんがいつの間にかプロ棋士らしくなって晴れ着姿で登場。年々歳々花は同じように咲くけれど、歳々年々人は変わりゆく。花誘ふ嵐の庭の雪ならで/ふりゆくものは我が身なりけり——。以来、私の心中奥深く、過剰なまでの「加齢意識」が巣食ってしまった。

 そんな春の宵、東京・日比谷で勤務先の同期入社組による同窓会が開かれた。出席者は20数人、男ばかり。出席率は3分の1程度、物故者が4人もいるのには改めてびっくりした。職種や勤務地が異なったりで数十年ぶりに見る顔もある。偉くなったのもいるし、私と同様、ひっそりと一隅を照らしてきた(乱してきた?)ようなタイプもいる。ま、人生いろいろ。

 このトシになれば、誰でも波乱万丈の物語がある(と格好つけたが、私にはない。何でやねん)。で、一人一人の近況報告。私の世代はおしなべて仕事や勤務先への愛着がかなり強い。長々と仕事の話ばかりが続けば辟易するが、私生活を交えた個人の内面的な想いは興味深い。水割りを飲みながら耳を傾けるうちに、いつしか私の内なる“妄想エンジン”が発動した。誰が最も若いか、“男前”の度合いを維持・発展せしめているか。同期仲間なればこそ遠慮・仮借のない、しかし心底愛情のこもる品定め。もちろん私は根っから品性高潔だから、「男っぷりを下げたのはどなたか」などと意地悪く詮索したりはしない。

 評価ポイントはまず頭髪。残量だけではなく黒白の色合いも重視する。さらに腹の出具合い、姿勢の良し悪し、服装、そして眼だ。鋭いばかりではダメ。奥深さ、優しさ、包容力、そしてオトナの色気を感じさせる、これぞ「熟年男の眼」でなくてはならぬ。ざっと半数は私より若く見えるし、遺憾ながら「男前点数」も高そうだ。中には熟成を経て俳優にしたいぐらい魅力的な顔になった憎い奴もいる。本人は口には出さないが、きっと充実した人生を送ってきたのだろう。

 同窓会の翌日、棋聖戦七番勝負の第6局が放映された。何と、昭和の碁聖・呉清源師が立会人の王立誠元棋聖らを従えて検討の輪の主役を演じられているではないか。当年93歳。かくしゃくたる姿、鋭い眼光。棋理の究明に身を捧げた仙人のようだ。現代の若い棋士の中から呉清源師のような存在になりそうな候補を探れば、もちろんこの人、ウックン名人・碁聖だろう。線が細いようだが案外長持ちして、半世紀もたてば呉清源師の再来と言われるかもしれない。

 人の顔には、年老いた頃の風貌を想像しやすいタイプと、幼い頃の面影が直ちに浮かんでくるようなタイプと両方ありそうだ。上に挙げたウックン、そして愛妻の泉美さんは両方の顔が浮かぶ。関西総本部で初段在籍記録に挑戦される(これは褒め言葉です!)木谷好美オバチャマと好感度ナンバー1の万波カナたんも含めて、日本では数少ないデュアルタイプだろう。以下、私の独断的見解をご披露させていただくが、何も善悪・美醜ではないから笑って読み流してほしい。ただし、たっぷり熟年の域に入られた棋士(大御所のチクリンや杉内のオバチャマら)、二十歳前の青少年は対象から除かせていただこう(敬称と段位は略)。

 まず、おじいさん顔がすんなり浮かび上がってくるのはチクン大棋士。そして高尾、羽根直樹、河野臨、レドモンド、森田、溝上、高野ら。NHKテレビ出演で男を上げた大森八段はやせるとたちまちおじいさん顔になるから要注意。棋院理事の信田六段は、古希を超えて今なお活躍されるプロ野球の野村監督のそっくりさんだ。対象外と言ったばかりだが、未成年の井山七段は既に十分おじいさん顔で通用する。おじいさん顔は知恵の象徴。是非とも誇りに思って欲しい。

 おばあさん顔の代表は女流棋聖位を死守したばかりの梅沢。小山、加藤朋子、岡田、甲田、大沢、原、穂坂、潘、中島、そして万波カナたんの妹のナオたんもこちらのタイプ。女性の場合はある意味で美人顔の証明でもあるのだから、絶対に怒らないでね。

 次は“男の子顔”。棋聖・山下を筆頭に、小林光一、王立誠、オーメン、依田、ソンジンと実力者に多い。石倉、神田、小松英樹、楊、黄孟正、小長井、蘇、秋山、加藤充志らもこの系譜。七段以下では、スジュン、黄イソ、松本(私のごひいき)、金澤秀男、鶴山(幽玄の間の企画や日本将棋連盟の広報担当などを務めていた千寿会会員の古作さんがそっくり)らが今なお少年期の面影を残してがんばっている。

 “女の子顔”は女流2冠のシェー・イーミン、ヤッシー、チネン、新海、巻幡、鈴木歩、そして向井3姉妹。中でも末娘のチアキ嬢は「少女」を突き抜けた愛くるしいベビーフェイス。先日テレビ中継された棋聖戦第6局では長姉のカオリさんとともに記録係を務め、髪の毛を伸ばして少しばかりお姉さんらしくなった姿を見せていたが、きっといつまでもコロコロと抱きしめたくなるような可愛らしさを失わないだろう。

 最後になったが、千寿会講師の方々にはなぜかコドモ顔が集中している。小林健二、ジョー、水間、王ユイニン、宮崎龍太郎各氏とも、ちょっと“妄想エンジン”を働かせればすぐに悪戯盛りの少年になる。指導碁でいつもコテンパンにやられているから、この際ズケズケと本音をさらそう。品行・学業とも優秀だったのはスイ(水間)さんとユイニンさんだろう。ただし(私と同様)“いい子ぶりっ子”だった可能性も高い。ジョーとリューさんは、ガキ大将として女の子をからかったり、あるいはいじめられている弱い者を助けたり、結構「いいカッコしい」だったかも。お父さん子の健二さんは時々周囲をびっくりさせるような才能を発揮するが普段は目立たず、ひょっとすると甘えん坊の泣き虫だったのではないかと考えると面白い(先生方、どうぞ笑ってこらえて!)。

 では、ご本尊のチーママと東の貴公子セーケンさんはどうだろう。お二人とも珍しくコドモ顔とロージン顔が同居されている。どちらかと言うと可愛らしい子供時代の顔を想定される人が多そうだが、むしろ私は、お二人は日本の文化を象徴する“美しく気品のある老人”になると期待している。チーママの場合は、国内、国外でのいろいろな体験、苦労が奥の深い品位を構築していくし、貴公子は今のイケメンが風雪を受けて独特の渋みを増していくと思うからだ。

 ただし貴公子には注文がある。今のまま歳をとっていくのではまずい。まず、やせ過ぎを解消しないと貧相に陥る。それにはもっと食べるべきなのだが、勝負師として日々精進されている貴公子にはなかなか難しいかもしれない。ならば、私が数十年間この身を削って蓄えてきた腹の肉を半分ほど進呈するのもやぶさかではない。もう一つ、貴公子は髪の毛が見るからに鬱陶しいほど多い。仕方がない。これも私が半分ほど分かち持つことにしよう。別に礼には及ばない。不肖の弟子ではあるが、真心込めた老婆(爺?)心からの忠告と好意の発露だから、余計なお世話と思わず是非とも真摯に受け止めて欲しい。

亜Q

(2008.3.22)

謫仙楼対局 珍型

黒 謫仙   六目半コミ出し
白 小龍女

 碁はめったに現れない形がいろいろある。
 碁会所に通っていたころ半目勝負は珍しかった。一年に一局あるかないか。あるとき二局続いたことがある。わたしにとっては珍事であった。ところがネット碁を打つようになると、半目(持碁も含めて)勝負はけっこうある。珍しくも何ともない。
 右図は欠け目生き。初めて現れた形なので紹介させて頂く。
 中央の黒は目はないが生きている。
 欠け目で生きていることに気がつくのが遅く、目を作ろうとして、後手を引いてしまった。盤面で持碁。これで勝っていたら自慢なんだが。一応形は知っていたが、実戦で現れたのは初めて。

 右の図は、ネット碁で現れた形。わたしの白番で相手は台湾の人。 左上がスミの曲がり四目。このままで黒は死。
 スミの曲がり四目は珍しい形ではない。だが、わたしの実戦で現れたのはこれが三局目か。難しいのは、これで黒が死であることを相手に納得させることかな。知らない人がいるのだ。名も誤解されやすい。曲がり五目を四目とはこれ如何。本当に曲がり四目になったら劫である。

 仮に左の図のように曲がり四目になったら、「1−二」に白が打って劫になる。もちろん黒が打つ機会があれば生きる。
 このままセキとしても勝っているので、どうでもよいのだが、なんと負けてしまった。
 いつも秒読み三十秒で打っているのに、これは相手の設定で二十秒だったのだ。時間切れ負け。

 棋聖戦の第五局で山下棋聖がパスした。立会人を呼んで終局。これも珍型だろう。
 ルールによれば、両方がバスすれば停止(ここで終局ではない)。その後死活の確認で意見が分かれれば、再開を主張した相手の手番で再開する。
 半目勝負だったらそうなったかと思ったが、どうもそうはならないらしい。わたしの能力ではこの問題はパス。

 珍型といえば、小龍女が子どものころお墓に住んでいたというのも珍型。
 先日、武侠迷(武侠ファン)の集まりがあった。わたしは関東幇会爛柯派、得意技は「謫仙游頂」なんてことになりそう(^。^)。
 冗談はともかく、そこで出た質問。
問「謫仙楼対局って、本当にあったンですか。本当に小龍女とか聖姑とか呼んでるンですか」
謫「ウワー、それはあの〜。わたしがつけたハンドルネームでその〜」
問「続きは、小龍女は孤児で、尼さんが引き取った。尼さんはひとり暮らしの老婆に世話をさせたが、住む場所がなく、昔お墓だったという洞窟に住んだ。と、こうなるのでは」
謫「尼さんの住む庵が小さいので、庫裡として使っていた洞窟を利用したとか、もう少し色を付けて…」

謫仙(たくせん)

(2008.3.18)

貴公子かく語りき「星目で来い!」〜アマを負かしにかかるプロはどこまで強いか

 千寿先生が欧州で発掘し、手塩にかけて日本棋院のプロ棋士に育てた故ハンス・ピーチ六段がまだ低段だった頃、日本棋院の肝煎りで級位者を対象にした「ハッピー・マンデー」教室を開講した。あの不慮の事故でハンスが亡くなった後も、“東の貴公子”と呼ばれる高梨聖健八段、両親は中国のトップ棋士、さらに小林覚九段を岳父とする孔令文六段らに受け継がれて有段者や強い級位者を多数輩出してきたようだ。

 そんなご縁で、千寿会とハッピーマンデー在籍者との交流がもう5、6年ほど続いている。この24日も2月の誕生会(対象者は千寿会から私と29日生まれ(!)の弁護士たっちゃん、ハッピー・マンデーからトモミ、ミエ、マユの妙齢の美女3人)を兼ねて双方の有志が日本棋院で交流対局会を開いた。何よりのプレゼントは、たまたま仕事で日本棋院に来られていた聖健八段が飛び入りで誕生会に参加してくれたこと。棋院近くのイタリアンレストランで総勢15人が飲み放題のワインを飲みながら大いに盛り上がった。

 その席上でとんでもない企画が持ち上がった。長く続いた絶不調を最近ようやく脱したらしいかささぎさんが貴公子に打ち明けたのだろうか。京大時代に坂井秀至プロらと切磋琢磨して学生本因坊も獲得したアマ強豪に、人様には決して明かせないほど打ち込まれたあの苦い体験を(トップページ下方の「絶不調の人」をご覧ください)。そんなことがきっかけになってどちらが言い出したのか、「星目の置き碁で真剣勝負しよう」ということになったらしい。

 もちろん貴公子はプロだから賞金を賭ける(賭けなければむしろ失礼だろう)。と言っても大金では味が悪いし両者の生活に影響を与えてもいけない。ま、小遣い銭程度。事は千寿会での内輪の実技教育あるいは個人授業。いまや日本は成熟したオトナ社会だから、「賭け碁は悪」などと目くじらを立てる人はよもやあるまい。

 それにしても、かささぎさんはれっきとした高段者。箱根の「ふれあい囲碁大会」に五段登録で出場した時(その後は六段で出場)には見事優勝したこともある。さらに数年前には小林覚九段、コーイチ・チクン大棋士やウックン、ケーゴ、タカオ、ハネらの四天王ら現代のトップ棋士を相手に十番勝負を仕掛け、驚異の9連勝を飾るというノーテンキ(気宇壮大)な初夢を見た人でもある。いくらなんでも星目置けば、碁の神様にも引けを取らないのではあるまいか。

 ところが貴公子も勝負師。いくつかの条件を付けた。まず、時計を使用する。「1手5秒」は無理でも、持ち時間はかなり短めに設定されそう。そして棋譜公開は絶対ご法度。貴公子は常々「アマとの稽古碁においてもプロ同士と同様に本手を打ち、間違いを期待するウソ手は決して打たない」と公言し、実践されている。その貴公子が日頃の理念をかなぐり捨て、どんな手を使ってでもアマを負かしにかかる。もちろん立会人も無用の1対1の真剣勝負。貴公子は最近20年近い喫煙習慣をスパッと切り捨て、当面の目標をプロアマ混合戦「阿含桐山杯」に絞ったらしい。かささぎさんをそのための尊い生贄に仕立てようという目論見なのだろうか。

 これはおもろうなった。周囲の予想は意外にも貴公子に乗る声が多い(ホンマに友達甲斐のない面々や)。しかし愚直な私はかささぎさんに乗る。それがノーテンキ教祖かささぎさんに対する、一番弟子を認ずる私の務めなんや。でも万が一、かささぎさんが負けたらどないしよう。その時はもちろん、この私が弔い合戦に立つ。ただし私はかささぎさんより年長。持ち時間を10分ほど余分にもらいたい。首尾よくリベンジを果たした暁には、無念の最期を遂げたかささぎさんの骨を拾い集めお経を上げてお慰めまいらせ、賞金は当然奪い返して応援の紳士・美女を交えて美酒を飲むつもりなんや。

 何、この私も返り討ちに遭う?そないアホなことを抜かすのか、キミは。何でやねん!!ここを訪れる方はホンマにへそ曲がりの変人や。ワテは今夜もまた、深酒になりそうな予感。

亜Q

(2008.2.26)

謫仙楼対局 中国ルール

黒 靖   コミなし
白 謫仙

 今黒▲と切って(?)きたところ。大きく勝っていると思っていたので、黒▲の左に「勝ちました」と言って終わりにするのがよかったが、手がないと読み切り白1と打った。割り込んできても断点が二カ所あり問題ない。
 靖さんには定先にしてもらった。今までは白がコミを出していたが、今回はコミ無しである。
 それが黒にとって無言の圧力になるらしく、いつもより厳しくやってきた。そのためかえって白は打ちやすくなり、ここでは白は20目近くリードしているのではないかと思う。

 黒1とワリコミ。どう打っても間違いないと思っていたので、形よく白2と引く。
 黒3となっても、読み筋通りと思いこんでいて、考えず白4と切る。黒5となって、読みの穴に気がつき愕然とした。
 白2ではなく黒3のところから切ればなんの問題もないではないか。進行図も読んでいたが、読み切って問題ないと思っていたのだ。思いこみの恐ろしさよ。
 結局、白は五目も足りなくなってしまった。

    …………………………
靖「ところで、中国ルールではコミは7目半。6目半はないといいますが、人によってはあるという。意味判ります? 中国ルールはどう違うんです?」
謫「中国ルールは盤上の石と地を数える。目は全部で361でしょう。白と黒の石と地の合計は361になることになる。奇数だよね。もし、
 黒181ならば白は180で、差は1目。
 黒182ならば白は179で、差は3目。
 黒183ならば白は178で、差は5目。
 黒184ならば白は177で、差は7目。
必ず奇数差になる。だからコミ6目半にしても、5目半と同じことになるンだ」
靖「なんだ、そんなことだったんですか」
謫「ただし、セキがあって、ダメが1目あると偶数差になる。そんな時は6目半が意味を持つ。まあ例外だな、でもないわけではない」
7路盤を書いて並べた。

謫「これで終局してダメを詰める。日本ルールなら白は8目、黒はアゲハマ1目で埋めて8目。持碁だよね。中国ルールではダメ詰めの石も数えるんだ」
靖「黒25目で白は24目、黒1目勝ちですね」
謫「だから黒3は出入り2目になる。黒がパスして白3となれば白1目勝ち。石を数えるということは、地をアゲハマで埋めても同じだよね。だから対局中にアゲハマは返しても問題ない。反復禁止など細かいところが違うようだが、ほとんど同じになった。ただ、計算例のように、日中では1目違うことがある」
靖「それで、0.75っていうのは何です?」
謫「ああ、それね。今の説明は日本の数え方で計算した。中国式では、361を半分にして180.5。これを基本にする。黒が184目ならばその差3.5子勝ちと計算するンだ。日本式なら7目、半分になるでしょう。2目が1子に相当する」
靖「すると7目勝ちは3.5子勝ち? コミ7目半は3.75子?」
謫「そういうことになるね。注意するのは、セキでダメがあれば半分(0.5子)にして数えること。そうしないと白石扱いになってしまうから」

     …………………………
 先日、ドラマ『碧血剣』を見ていたら、『可以贏他三個子』という科白(字幕)があって、日本語字幕は『…三目勝てた』となっていた。これだと三子が三目。
前に笑傲江湖の碁で、王積薪の話の中に、老婆が「わたしが九子勝ちましたよ」と言った、と 書いた。
 囲碁ルール博物館に次の文があった。…は省略した。
…文献に残された中国の古碁は全て日本式と推定できるでしょう。…
それが「明」の時代に中国式に変わったように見えます。しかし、さらに歴史を遡ると、孔子や孟子の時代の碁である「エキ」はどうやら中国式であったようなのです。…

とある。
 つまり上の碧血剣の三子や王積薪の話の九子は、日本式に三目・九目と考えてよさそうだ。

 推測を補足すると、「明の時代に中国式に変わった」とするなら、それは旧中国ルールと思われる。
 白12・14・16はパス。石だけ数えて黒23、白20で黒三目勝ち。
6カ所の空点は数えない。ここに石を入れると死んでしまうから。この空点を「切り賃」といった。
 実際にはここまで打たず、終局後「切り賃」はコミとして数えたようだ。
 空点を地として数えるようになったのが、現代中国ルール。これで日中の差はほとんどなくなった。

謫仙(たくせん)

(2008.2.20)

山下王座の就位式から

 山下敬吾棋聖が防衛に成功した第55期王座就位式が春まだ浅い如月の12日に開かれました。会場となった東京・日比谷の帝国ホテル4階桜の間にはざっと200人の祝い客が集まり、中締めなしの3時間近くにわたって敬吾王座の健闘を称え、美酒と棋士との交流を堪能。主催者の日本経済新聞で観戦記者を務める木村記者が千寿先生と懇意なこともあり、元文壇名人2期のちかちゃんをはじめ千寿会メンバー5人も見学する機会を得たので、ここでご報告いたします。

 初めに挨拶に経たれた日経新聞の杉田社長、日本棋院の岡部理事長らは、国際頭脳オリンピックの競技に碁が加わったことを踏まえて、7つのタイトル戦に率先して持ち時間3時間制を導入し、現王座と挑戦者が1勝1敗で迎えた第3局と4局を中1日置いて熱海の同じホテルで開催するなどの新機軸が成功したと報告、それに応えて山下王座は「国際戦でも結果を残す」と決意表明されました。

 とりわけ目を引いたのは、タイトル戦敗者の今村九段がわざわざ上京されて祝辞を述べたこと。関西棋院の常務理事として塩川理事長に代わって参加した意味合いもあったかも知れませんが、「タイトル戦敗者が勝者を祝福する習慣を新王座は継承して欲しい」との言葉はカッコイイ。山下王座は「先輩に倣います」と神妙に約束されていました。仕掛け人となった木村記者も「敗者に来ていただいたのはちょっと自慢したい」と鼻高々でした。

 今村九段の介添え役(?)として一緒に上京された関西棋院の結城九段と寿司をもらう場で遭遇したのを機会に「先生も東京で就位式の主役になってください」とお願いすると、「敗者になっても挨拶に立ちたい」と変化球の回答。「今でも依田先生の家に泊まられるのですか」と聞けば、「東京に来る機会は多いので、九段に寝場所を持っている」とのこと。「日本棋院と関西棋院はそろそろ合併するべきですね」と突っ込むと、「ボクもそう思います」とまじめに答えてくれました。ついでに今年の阪神タイガースの話題などもぶつけかったのですが、人気者の結城九段を独占するのはこの辺で慎み深く控えました。

 会場内には石田24世名誉本因坊、工藤元王座、武宮元名人・本因坊と陽光五段、大矢九段、藤沢八段、千寿会講師を務める水間七段、信田六段、女流の小川六段、退役された白江八段、さらに山下王座の愛妻聖子さんと愛息、緑星学園を主宰される王座の恩師・菊池康郎さんをはじめ、緑星学園で切磋琢磨した女流タイトルの常連、青木八段、大橋四段らも見えました。

 定員320名という日本最大の囲碁まつり「リュウ石会」を主宰されるアマ棋客、三留喜代司さんには4月13日に開かれる第33回春季囲碁大会のお誘いをいただきました。石田名誉本因坊、小川六段、梅沢女流棋聖、万波カナ・ナオ姉妹、最も有名な女流インストラクター稲葉禄子さんらが来賓に名を連ねる超豪華な集い。会費は昼食付で5000円。公開早碁対局、指導碁なども用意されているそうです。申し込み締め切りは3月10日、申し込み・問い合わせは〒123-0852 東京都足立区関原2−39−12 TEL/FAX03-3880-3305 三留様宛にどうぞ。

 ところで、高梨八段の顔が見えなかったのはどうしたことでしょう。1月5日の「打ち染め式」の時には「ボクも行く」と約束されたのですが。愛妹の聖子さん、そして義弟の敬吾王座とまさか冷え切った仲になっているのではないかと心配になりますが、人が集まる晴れやかな場がやや苦手な貴公子のこと、自分が就位式の主役となるべく、きっと秀策の碁でも1人並べておられていたのでしょう。

 式がお開きになると、我々5人はクロークで大橋四段とバッタリ。傍らには若き日の小森のオバチャマのような麗人。思わず「よろしければ30分ほど軽く一杯いかが」と持ちかけると、困ったような表情。かささぎさんだったか(あるいは私だったか)「プロ棋士たるもの、アマチュアとの交流も大切にしていただきたい」と一押しすると「では少しだけ」とにっこり。近くの日比谷バーで1時間半ほど歓談の時を持つことができました。

 私は麗人に早速切り込みました。「あなたは大橋先生のお弟子さんですか?」——。すると「私は先生です!」とキッパリ。お名前を伺うと結城さん。何と緑星学園を主宰する菊池師匠の(知る人ぞ知る)最愛のパートナーでした。大橋四段は学園での修行の話をしながら結城さんを実の母親のように慕っているし、結城さんも愛弟子を可愛がっている様子がありあり。今では全国各地に学園活動が広がり、第二、第三の山下棋聖・王座を夢見て子供たちが勉強されているようです。

 以上が、私が見聞きした就位式当日の模様ですが、翌13日に関連したサプライズがあったのでもうしばらくお付き合いください。私の大ボス(彼も就位式に参加していた)が都内某所で主催する飲み食い付きの定例碁会が翌日開かれ、その場に菊池師匠と就位式で来賓挨拶された琉球緑星学園総元締めの顔があったのです。はて、今日は何日だったかと錯乱の極に達した私が、昨夜大橋プロと結城さんを交えて飲んだこと、帰りの電車で結城さんと握手して「泡盛生チョコ」をゲットしたことを打ち明けると、何とチョコの供給元は元締めだったらしい。

 そんなご縁で、元締めに教えていただく光栄に浴しました。実はこの元締め、就位式の来賓挨拶で「王座戦の賞金額をアップして欲しい」と迫り、主催者の日経新聞杉田社長が申し訳なさそうに深く頭を下げるという一幕がありました。私は公の場で歯に衣を着せずに言いにくいことをキッパリと言う快男児が大好き。もちろん、元締めの実力は私よりはるかに上。しかし間断なく注がれる水割りのせいか、大きなコウ代わりの末に黒番の私が何と盤上9目余してしまったのです。しかも菊池師匠の眼前で。「なかなか強いね、ただしもう少し布石の勉強をするといいよ」と元締めが私に声をかけてくれました。私はつくづく、千寿会に感謝しました。千寿先生、そして千寿会講師の先生方、ついでに日ごろの碁仇のみなさん、そしてここを尋ねていただく変人諸兄に厚かましくもお願い。一緒に喜んでくださ〜い!

亜Q

(2008.2.16)

欧州の青少年の為の『碁マスターコース』

1月3日~8日まで武宮正樹九段、釼持丈七段をお招きして3名で欧州の若者達の囲碁研修をウイーンで開催しました。

こんな企画は初めてなので、どのくらいの生徒が集まるか全く分かりませんでした。それも年齢25歳以下、棋力2級以上(日本のアマの初段くらい)の条件つきです。でも嬉しいことに毎日50~70名、延べで400名、13カ国の生徒が集まりました。

日程を見てください。
 10:00〜11:00 詰碁
 11:00〜13:00 対局
 14:00〜17:00 対局解説
 17:30〜20:00 詰碁 & 対局
 20:00〜      自由対局

武宮九段の自選解説、対局コメントにみんな感激!
釼持七段の体全体で表現するコメントには爆笑あり、叱責ありで大好評でした。

こんな日程で1週間武宮先生の元で欧州の若者達が過ごしました。

彼らからのコメント
 :院生になった気分
 :勉強の仕方が分かった
 :同じ世代のプレイヤーに沢山会えた。
 :次はいつですか???

この企画は現在、文化庁の『文化交流使』の延長線で文化庁がサポートしてくれました。

武宮先生には9日にオーストリア日本大使館で講演をお願いしました。こちらも会場に椅子が丁度満席になる70名がピッタリ参加!!『宇宙流の心』を思う存分語って下さいました。碁を知らない方も『碁は哲学ですね!!!』と。底抜けに明るい武宮流は人生の鉄人でもありました。

その翌日は大使公邸でオーストリア囲碁協会と大使館関係者と棋士の意見交換会。
その折には田中大使自らのお茶のお手前でみなお茶を一服。
『海外にいるからこそ、触れることができる日本文化』の1週間でした。

そして今回の特別はわが師匠・木谷実九段を崇拝しているウイーンのプレイヤーP氏のご縁で木谷家よりご子息の木谷正道氏もギターを片手に同行して下さり、マスターコースで大使公邸で歌って下さいました。そして『マスターコースの雰囲気はまるで木谷道場のようだね!!』のお言葉を頂き嬉しい限りでした。

因みにP氏の肝いりで欧州初の会員制囲碁クラブ『GO7』がオープンしました。マリアフィルファー通り82番地です。

番外編ではなんといっても、ダンスにはまっている武宮先生とロンドンから来たマリカとのダンスかな?ラッキーなことにプレイヤーの中の数少ない女性の中に踊れる女の子がいたんですね!!!

通訳には元院生の加藤君もベルリンから碁の生徒を連れてきて大活躍。
彼はこの秋に画家としてベルリンでデビューです。

私は指導、通訳、ホテル・飛行機の手配、何でもかんでもの超忙しい1週間、イエ、イエ企画、後のレポート。3ヶ月越しの大変な日々でした。
無事終わり、ホットしております。。。

小林千寿

(20081.30)

童心

太陽の塔ALL Season 四季の彩りより戴きました)
 半月ほど前の日経新聞夕刊で、哲学者の梅原猛さんが「太陽の塔」で知られる芸術家、岡本太郎さんとの交流を書いていた。(以下、コラム「こころの玉手箱」からつまみ食い)

 大阪万博の後、仏文学者の桑原武夫さんを交えた3人で「天才論」を語るテレビ番組のリハーサル中、太郎さんが「梅原君、君は誰かお忘れじゃございませんか。君は『岡本太郎』と言わねばならないよ」とのたまうから、私(梅原)は「友人の発言だと値打ちがない。ご自身でおっしゃったらどうです」と返した。いざ本番になってどうするかと思っていたら、(太郎さんは)大きな声で「岡本」と言ったが後が続かず、か細い声で「かの子」とお母様の名前。皆、笑いをこらえるのに必死だった。

 別の宴席にご一緒した時には、芸者さんが「あ、太陽の塔の岡本さん」と寄って来たのを見て、「評論家は俺を認めんが、一般人は偉大さを知っている」と絶大な自信。芸者さんは「奇妙な塔」と思っていたのかもしれないが、「素晴らしい塔だと感動したのだ」と太郎さんは断言する。

 民俗学者の梅棹忠夫君に案内してもらって国立民族博物館を見学した後も、「太郎を真似した彫像がいっぱいあった」と言うから、梅棹さんが「400年も前の作品ですよ」と説明すると、「400年前から太郎を真似する人がいたんだ」とまったくひるまない。

 ある時は、「スキーの達人である自分は、アポロンのごとき肉体を持っている」と、上半身裸になってみせる。太郎さんが70歳を過ぎての話。そういう天真爛漫さを通して我が道を進んだ太郎さんは素晴らしい。「太陽の塔」を見ると、芸術家に必要な素晴らしい「童心」を持っていたのだと感じる。(つまみ食い完了)

 私はこの手の話が大好きだから、好きな棋士であるほど、もしかしたら表に出し切れていない生来の“愛らしさ”をあぶり出して勝手に賞味したくなる。とは言え、しょせんは私の妄想の産物、かなり的外れなことも多いのだが、まぁ読み流して欲しい。

 「童心」と言えば、オーメン元本因坊・王座が本因坊就位式の引き出物にした扇子に揮毫していた。まさにプロ棋士随一の童心の持ち主だが、本サイトで何度か書いたので割愛する。この童心が碁に現れると夢と創造性がたっぷりの素晴らしい棋譜が生まれる。ただし、勝負とはあまり相性が良くないように見える。優勢の碁を勝ち切ったり、コンスタントに勝率を上げたりする意味ではむしろ邪魔になるかもしれないが、碁の魅力を引き出す打ち出の小槌のような資質だと思う。

 オーメン以外では、男性ではまず依田元名人・十段・碁聖。最近小林覚元棋聖・碁聖と打った第33期名人戦リーグ開幕戦では、捨石に次ぐ捨石、世界で一人しか打てない“依田の碁”を披露して大向こうをうならせたらしいが、例によって楽観が災いしたらしく大逆転された。本を読んでいた子供がふとおもちゃ箱からお気に入りのおもちゃを出して遊び始め、庭を飛んできた蝶に目を奪われて追い掛け回し、茶の間に置いてあったお菓子を思い出してぱくつき、そのうち風呂に入って眠りこけ、終日(ひがな)充実した時を過ごす——内容的には(途中までだけど)本人も大満足の碁だったのではないか。

 もう一人は結城聡関西棋院九段。テレビ解説ではもうすっかりベテランのはずなのに、いまだに視線がもじもじしてどこか恥ずかしそう。昨年結婚したと聞いたが、どんなウソも奥さんの前ではばれてしまうだろう。顔つきは典型的な“囲碁オタク”。碁ばかりやってきたように思われるが、飛びっきりのトラキチ(阪神ファン)だったり、鉄道マニアだったり、カラオケも結構玄人好みの曲を思い入れたっぷりに歌い込むらしい(うまいかどうかは知りません)。

 女流の筆頭童心はガンモ(池田彩子元女流本因坊・鶴聖)さん。無人島に1冊だけ持っていく棋書を問われ「大矢浩一監修『棋道』(現在の『囲碁ワールド』付録」と答えて、根はさびしがり屋のオヤオヤ九段を歓喜させた。藤沢秀行さんにも可愛がられたらしいが、現在の段位制度になって初の九段棋士となった大先輩、藤沢朋斎九段との打ち碁自戦記にもおおらかな性格がよく出ていた。歌もマイケル・ジャクソンから大黒マキまでレパートリーは広く歌唱力も玄人はだしらしい。

 ガンモさんと絶妙なB型コンビを組むヤッシー(矢代久美子元女流本因坊)も面白い。趣味というピアノは長いこと「月光第一番」しか弾けなかったらしいが、自転車には乗れるようになったのだろうか。文章を書くのが好きらしいから、女流本因坊を手放した今、芥川賞挑戦作品に取り組んでいるかもしれない。

 千寿会にも童心を競う打ち手が多士済々。小林ファミリーの中で最も人懐こい健二さんはそろそろ大台を迎えようというのにいまだにお父さん子丸出し、聖健八段は教え子の子供たちに馬乗りされて髪の毛をもじゃもじゃやられて喜んでいる。元文壇名人2期の最長老ちかちゃんと、仕事をしながら柏市で囲碁普及のボランティアを続けるフジタさんの2人は歳の離れた奥さん(もちろん美人)を話題にすると頬を染めてテレまくる。かささぎさんのノーテンキ、たくせんさんの中国剣豪小説びいきなども人並みはずれた童心のなせる業に違いない。

 しかし何と言ってもこの人、数々の女流アマタイトルを獲得した歴戦の猛女N.Oのオバチャマにはかなわない。猛女はひとたび碁を打ち出すとにこりともしない。どんな相手でも全力を尽くして破壊する。棋力が相当離れていても置かせるのはせいぜい3子まで。もちろん感想戦でも決して負けない。千寿会後の飲み会でも「どうしてみんな途中からヨワヨワになっちゃうのかしら」と豪語するものだから、「それはオバチャマが怖いからじゃない」と誰かが口を出した。その時、猛女のご機嫌な顔つきが一変した。「私は怖いって言われるのが大嫌いなの、どうしてそんなことを言うの!」と本気で怒り出すのだ。猛女はこれまで碁に勝つたびに相手を怖がらせて来たに違いない。シタテなら誰だってウワテは怖い存在。そんな当たり前の用語にも鋭く反応して酒席を凍らせる。しかし、私だけは知っている。強い男にやさしくされたいといつも願っている猛女は、心の底でこう叫んでいるのだ。昔のアイドル歌手がはやらせ歌詞にあった「ひとこと言って、君可愛いね」と。

亜Q

(2008.1.28)

「国際棋戦に勝つ」ことも大切だけれど

 囲碁情報の草分けサイト『囲碁データベース』が国際囲碁普及を巡る韓国の2つの話題を紹介していた。

 一つは、韓国に囲碁留学して3年間修行を続けていた元ハンガリーチャンピオンのティエナ・コセキさんが韓国棋院の初段に認定されたとの東亜日報の記事(1月7日付)。ハンガリーと言えば、情報理論やコンピューターの基礎を築いた天才科学者フォン・ノイマンを生んだ国。近い将来世界を制覇する棋士が現れても少しも不思議ではない。ティエナ新初段がその礎になるのだろうか。「欧州への囲碁普及のために必要な人材だから推挙した」との韓国棋院関係者の声も興味深い。韓国棋院はこれと合わせるように、ロシアで囲碁普及活動をしているロシア出身の2人の棋士を三段に昇段させたそうだ。

 実はこのティエナ(ディアナ)さんは2001年の夏に千寿会を訪問されていた(右はそのときの写真、こちらを参照)。日本で院生修行をしたいと言っておられたのだが、どんな事情だったか、韓国に籍を移したらしい。なかなかチャーミングな女性だったのにちょっと残念だ。

 もう一つは、韓国囲碁リーグがベトナムでアジアンツアーを開催したとの『韓国棋院ニュース』の報道(1月13日付)。韓国の銀行と囲碁テレビ局が主催して、囲碁と接してまだ10年ほどにしかならないベトナム市民と韓国のプロ棋士が交流を深め合ったという。

 人類が生み出した文化資産の中でも最高傑作の一つと数えたい囲碁を、いまや最強国にのし上がった韓国が国を挙げて国際普及に取り組む姿勢は好ましいし、率直に敬意を払いたい。中国も囲碁を頭脳五輪の種目に乗せるよう様々な形で取り組んでいると伝えられる。棋力だけでなく、もしかすると日本は囲碁国際普及の主導権も韓国・中国に取って代わられるかもしれない。

 過去10世紀もの間ほぼ独占的に囲碁を育て、世界に種をまいてきた日本は、韓国、中国とは比べものにならないほど莫大な投資と献身をつぎ込んできたはずだが、その割には目立たない。故岩本薫本因坊をはじめ、藤沢秀行名誉棋聖、現代では欧州に定住してボランティアで活動を続けた重野由紀二段、そして昨年から国際交流使に任命された小林千寿五段らの献身的な活動は周知の事実だが、個人の貢献におぶさる形になったり、棋院の活動も結果的に一過性に終わったり、蓄積効果がいま一つと感じるのは、半可通の私のきっと偏見・杞憂だろうと思うが。

 その意味で、千寿師匠が欧州で発掘し、手塩にかけて育てたドイツ出身のハンス・ピーチ追贈六段が海外普及のさなかに凶弾に倒れたのはまことに残念、不運でもあった。彼はアマチュアのファンからばかりでなく、謙虚で誠実な人柄が棋士仲間からも好かれた、まさに生まれながらの“交流使”だった。

 今年も恒例の「打ち初め式」が1月5日、日本棋院で行われた。初めに挨拶に立たれた岡部理事長(写真右)、大竹副理事長は異口同音に「国際棋戦に勝つ」ことを新年の目標に掲げた。もちろん異存はない。国際棋戦があるたびに、私だって弱い頃の阪神ファンと同様、切なくも苦しい感じをたっぷり味わう。

 でも、勝負の結果にばかり目がいくのはいかがだろう。早い話、日本がいつも勝ってばかりだとしたら盛り上がるだろうか。3度に1度は韓国、中国の大きな壁をこじ開けて日本が勝利し、さらに台湾や欧米その他の国から大天才が現れて世界を制覇する、それをまた日韓中が追うといったスリリングな状況の方がきっと面白いはずだ。たまに海外に出かけ、碁とは無縁のような国で思いがけず碁を通じて現地の人と交流し合うなども味わい深い。国際棋戦の勝ち負けはあくまでも「覇道」、国際普及こそ「王道」。日本がその中核であり続けるなら、これからも末永く囲碁最先進国の座を維持していけるだろう。

亜Q

(2008.1.15) 

謫仙楼対局 とどめを刺す

黒 謫仙 六目半コミだし
白 聖姑

 この場面では黒は盤面で10目程度勝っていると判断していた。
 負けるときは何をやっても勝てない。見落としがあって負けるのは当然としても、取ったと思ったら、劫になる手があってコウダテは相手が多かったとか。シチョウで取ったら、シチョウアタリが大きくて損したとか。読み勝って大石のとどめを刺したと思ったら、代わりの外壁が厚くて大きいとか。
 先日は終局と思って駄目を詰めたら、アタリになって二十目を越える大石が死んでしまった。
 ある日のネット碁では、相手が駄目を詰めたので、終局サインを送ると、相手の手番になって、手があった。
 こうすれば相手は投了という場面が何回あっても、逆の方に石が行ってしまい、とどめを刺すのが先延ばしになって、結局逃げられてしまう。とどめを刺しても、安心して手がゆるんで足りなくなる。

 今回など負けパターンの典型であろう。
 白▲の手は勝負手というのも烏滸がましい、投げ場を求めたと言うべきか。さすがに手を抜くことはできなそうだが。

 安心して打っていると、石が思いもよらぬ方へ行く。黒1などそっぽを向いている。劫になったが、何とか一眼にした。
 この場面で白はあと一眼は作りようがない。

 白1のとき一目抜いてしまえば、オワではないか。それを黒2と引いてしまった。黒4になっては、大石を取っても一目を抜かれたのが大きくて、黒は足りないかも知れない。だが聖姑も確信は持てなかったらしく、劫にした。

 結局黒は上辺を突き抜き、左上4目を取ったものの、白は大石が繋がり、黒は盤面でも勝てなくなってしまった。
 この折衝、こう打てば終わっていたというのが、五六回はあったなあ。それを全部逃した。この碁のあとは「またも負けたか八連敗」「死屍十六連敗」状態。
 聖姑はにんまりしてとどめを刺しに来た。
「不思議よねえ、どんなに負けていても平気で打ってると、謫仙さんは必ずかってに転んでくれるンだから」
 必ず、は余計だ!

謫仙(たくせん)

(2008.1.4)

張栩名人・碁聖の従妹のお嬢さんが千寿先生のウィーン教室の生徒さん!

 ジュネーブからの帰国途中、囲碁の国際交流使活動を続ける千寿先生が10月26日から28日の3日間、地元有志の方と協力されて開いたオーストリアの囲碁大会中日の27日に飛び入り参加させていただく機会がありました。

 大会には幅広い年齢層の人たちが大勢参加されていて、とても盛況でした。中でも目についたのが中国系の可愛らしい女の子2人。大人相手に元気よく碁を打っていました。

 そばで見守っていたお母さんらしき人に声をかけたところ、この夏から千寿先生の囲碁教室に入って、習い始めたばかりとのこと。母上は台湾出身の鄧允真(TANG, Jenny)さんという方で、旦那様は香港出身。ご夫妻はウィーンにはもう20年以上住んでいるということでした。

 「どうして娘さん達に碁を始めさせたのですか?」とお聞きすると、「いとこがプロ棋士をしていて、会った時に娘達も興味を持ったようだし、教育にもよさそうだから」とのご返事。

 私は中国または台湾の棋士の名前はあまり存じ上げませんが、「その棋士はどなたですか?」と一応尋ねてみました。すると「Zhang Shee(というように聞こえたのです。中国語の発音はとても難しい。うまく表記できませんが、お察しください)さんです。日本にいます」と答えます。

 それなら私も知っているかもしれません。ところが「えっ、どなた?」と何度聞き返しても、よくわかりません。そこで「漢字で書いていただけませんか?」と紙とペンを差し出すと、書かれたのは「張栩」!何と、張栩さんの従姉妹さんが私の目の前に!しかもウィーンで!

 しばし後、私は落ち着きを取り戻し、「このことは千寿先生はご存知?」とお聞きすると、「いえ、私は英語は得意でなく、ドイツ語でお伝えすることも難しいので…」。もちろん、私はすぐに千寿先生をお呼びして、お伝えしました。その時の先生のお顔!目がまん丸になっておられました。

 周囲にいた地元の囲碁ファンの方々も張栩さんの名前を知らない人はおらず、Jennyさんは一躍スター状態になって質問攻めに遭われていました。今年になって名人に返り咲いた日本のエースの活躍はヨーロッパにまで届いていました。

 国際交流使としての活動は年初からでしたが、千寿先生の国際普及活動はかれこれ10年にもなるのでしょうか。私は千寿会にお仲間入りしてかささぎさんたちから比べればまだ日が浅いのですが、今回全くの偶然の機会から、囲碁の輪が国際的に広がっている実態を垣間見ることができました。そのご報告を兼ねて初めて投稿させていただきます。

トミー

(2007.12.29)

加齢は碁を広くする〜年の瀬にオヤジの幻想交響曲

 今年も押し詰まった23日、チーママが久々に里帰りされてホテルニューオータニで主宰されたクリスマスパーティーを覗いた。ご婦人や子供さんたちを対象にチーママが同ホテル囲碁サロンで開いている囲碁教室の生徒さんたち数十人に、ちかちゃん、かささぎさんをはじめ千寿会からも5人のオヤジが参加。我がアイドル・佳歩ちゃんと美人の母上、ちょっぴりオトナになった院生経験者のM君らの顔も見えた。

 講師はチーママに加えて、東の貴公子・高梨聖健八段と“スイさん”こと水間俊文七段。サービス精神に溢れたスイさんはご婦人を相手に一段と懇切丁寧な指導ぶり。対照的に貴公子は置石が多い生徒さんにも手を緩めず、しっかり数目勝ち切ってにやにや喜んでいる。「お強くなられましたね」と最後に一言取って付けても、指導を受けた妙齢の美人生徒さんはぷっと膨れ面のまま。よせばいいのに私は、「悔しがる表情がなかなかイイ、碁が強くなる顔をされている」などとはやし立てたのだが、後で聞いたらその美人はホテルのお偉いさんの奥方だったようだ。

 指導碁が終わるとケーキとお茶でパーティーの開宴。招待奏者によるバイオリン演奏が済むと、次は女子生徒さんがピアノで日ごろの勉強成果をご披露。幼稚園児らしい女の子、幼女から少女へと変貌中の佳歩ちゃんに次いで登場したのがチーママの愛娘アンナちゃん。背丈はママより大きくなってふとオトナっぽい表情を覗かせたりする。——嗚呼、新しい年を迎えるたびにみんな歳をとっていくのだ。めでたくもあり、めでたくもなし——アンナがヨーロッパ仕込みのタッチで奏でる曲を聴きながら、私は幻想の世界へさ迷い始めた。


 縄文時代からオヤジがいたように、私が青少年だった頃にも周囲にオヤジはうようよいた。私は基本的にいい子ぶりっ子だったから、概ね適切な間合いを取って大過なく共存してきたつもりだが、付き合いにくかったのは「ナニゲにマジなオヤジ」。中・高校生の頃は「本を読め」だの「女性にウツツを抜かすな」だの、受験生の頃には「すべてを忘れて勉学に励め」だの、社会人になってからも「仕事のできないやつは男じゃない」だの、徹夜麻雀帰りには「いい加減、現実に目覚めてまじめに生きろ」だの、ずいぶんうるさく説教された。

 親身な愛情が少しでも感じられれば素直に聞けたのだが、ともすれば未熟な当方を恰好(かっこう)な酒の肴(さかな)にして面白がっている風情がありありとしていたから、「自分が認める人間以外の話は決して聞くものか」などと肩肘を張っていた。顔で迎合しながら、心は理由なき反抗を尖らせていたかもしれない。フツーの人生を送った私はまだいい。1手先の人生がきわめて読みにくい棋士の場合、特に修行時代に「マジなオヤジの恰好の肴」にされることがやたらと多かったのではないか。


 月巡り星流れて幾星霜。いつか私はどっぷりとオヤジそのものになった。耳に快かざるは聞き流し、あるいはすぐに忘れ、年若き発展途上の青少年を見れば何かと説教したがり、同年輩と酒を飲み合えば「いまどきの日本人は品格がない。昔はこれこれだった」などと悲憤慷慨してウサを晴らす。碁でもしばしば的外れな批評が飛び出してご迷惑を賭けているかもしれない。その一例が「シタテに対するノーガキ垂れ垂れ」だ。

 ところで、私自身どれだけ進歩したことか。碁にのめりこみ始めてもう干支ひと回り以上が経つが、伸び代(しろ)がたっぷりとあるザル碁の身で2目上達したかどうか。地元の強豪に相も変わらずボコボコにされ、千寿会の大先輩で森進一ファン(関係ないか)のJ氏には私が最も嫌悪する「筋悪の力碁の典型」と決め付けられる始末。たくせんさん、M女、K教授、A元教授らが伸びていくのはわかるが、最長老のちかちゃんでさえ、最近私を痛めつける機会が多くなった気がする。

 わずかな救いは、私より少しばかり若く、囲碁環境もはるかに恵まれているかささぎさんがこの10年間、私の遅々とした歩みにご同行いただいていること。そしてもう一つ、「碁が広くなった」との実感。以前なら、布石の段階でウワテに目はずしや高目に打たれるといやな感じがしたが、今なら「いつ締まりますか、それとも機を見て私がかかりましょうか」と自然体でいられるようになった。もちろん「手抜き」の妙味もわかり始めた(ただし、私の棋風を熟知される貴公子は「1手パス」と断じるのだ)。それでもノーテンキが進行する私は「1年前の自分と対局すれば、今の自分が勝てる」という感じをここ10年来持ち続けている。加齢こそ「碁を広げる」大きな要素(そうだ、これを新年の書初めにしよう!)。この一点にすがって、新年も精進しようとぞ思ふ。


 パーティーの前日は今年最後の千寿会。様変わりした有楽町界隈で忘年会を行い、しこたま飲んだ勢いで二次会のカラオケに繰り出した。びっくりしたのは、初めて耳にした貴公子の男らしく荒ぶる歌声。尾崎豊だか「ゆず」だか中島みゆきだか、いつものぼそぼそ声とはまるで違って思う存分自分を主張している。来年はいいことがあるのかも…世が世なら占い師になりたかった私は微笑みを浮かべ、一人頷いた。

 そして最大のハイライトはチーママが歌い上げた「てんとう虫のサンバ」。表情も仕草もまるで少女のよう。チーママの青春時代はどんな風だったのだろう。学校の勉強が大好きだったのに大学進学をあきらめ、文学全集に傾く気持ちを無理やり棋書に向かわせ、もしかすると初恋の彼とも切なく別れ、猛父が指し示した棋士人生を一心不乱に走り出したのだろうか。

 いつの間にかマイクはカラオケの帝王かささぎさんの手に渡り、「心の旅」をがなりたてている。35年も昔に男声グループのチューリップが大ヒットさせたロック調のポップス。じっくり聴いていると20代だった我が身に起きたあのこと、このことがつい昨日のように蘇る。私はそろそろ老い先が短くなった一介のオヤジに過ぎないが、たちまち青年にも少年にもなれる。あの頃の感性だってまざまざと思い起こすことができる。そして今、ザル碁に興じながらいろいろな友とめぐり合った。碁とは何か、人生とは何か、加齢とは何か——。あ〜、だから今夜だけは〜幻想に浸っていたい〜。

亜Q

(2007.12.26)

Merry Christmas!

(千寿先生からのお便りを転載いたします。かささぎ)

今年はウィーンからのクリスマスのご挨拶になりました。3月14日から文化庁の指名により文化交流使としてオーストリア・ウィーンを拠点に欧州での囲碁指導・普及の励んでいいる最中です。任期は1年で、2008年の3月13日迄です。

今は世界の若者の間で「クール Japan」(かっこいい日本)が浸透しています。その中には「日本マンガ」が日本文化のへの入り口となっていることも多く、「ヒカルの碁」も仏、独、英語に訳されています。そして今度はロシア語に訳されると聞きました。

このマンガの大流行はフランスから始まり、今ドイツ語圏に広がってきています。その流れを見て、そろそろドイツ語圏内で本格的に教えられる機会があれば良いなと考えている最中に、オーストリアの囲碁協会から熱い招聘を受けました。丁度、第51回目の欧州選手権戦が7月にあり、それを手伝うためにもウィーンを拠点に指導をすることに決めました。

ウィーンに移り7ヶ月が経ちますが、本当にタイムリーなときにウィーンへきたと感じています。

現在の私は東京にるときよりも忙しい毎日です。毎週、学校の囲碁部3つ、囲碁講座2つ、大使館の広報センターの初心者クラス。これに、週末のマスターコース(強い若者たちの勉強会)イベント、地方、多の国の囲碁大会などがあります。

その上になんと、欧州初の会員制囲碁クラブが誕生しました。今月はその立ち上げにオーストリア囲碁協会のメンバー達と多く話し合いが持たれました。まだ、有料で碁クラブを経験したことがない欧州の人達ですから、話し合う視点が日本のものとは全く違います。私自身も日本での経験を元に、こちらの人々の習慣、考えからを学びながら新しい囲碁界を作る手伝いをしています。

しかしながら改めてこのような公式な立場で日本文化の一つとして碁を世界に伝えることの意義を日々、再確認している毎日です。又、海外滞在が今まで多かった私ですが、ここまで腰を落ち着けて海外囲碁普及に徹することは初めてで、海外で暮らす大変さも経験しています。

ウィーンには、今年初めまで住んでいたジュネーブと同じく、国連などの国際機関があるために多くの国々の人々が暮らしています。そして、東欧の窓口でもあるため、チェコ、ハンガリー、ポーランド、トルコの人々などの人口割合もかなり高いです。地下鉄の中での人達の会話は、聞いたことが内国の言葉が氾濫しています。今まで、一介のツーリストとして尋ねていたことウィーンの表面の顔から、長年、大国を誇った複雑な歴史を背負った国のカオスの世界を垣間見ています。

その中での暮らしは、日本の便利さ、勤勉さになれている私達には、なかなか思うようにならないことも多く、心身共に鍛えられることも多いです。不可解、不便さに出会う度に日本が生みに囲まれた幸せな歴史を持てたことに改めて感謝、感謝の気持ちになります。

海外囲碁普及を公の立場で行うチャンスに恵まれ、今年は非常に充実した日々を送ることが出来ました。来年3月以降も、何らかの形でこの普及を継続する必要性を感じています。

現在の「日本文化ブーム」の時、碁を世界に普及する絶好のチャンスだと感じています。そして、少しでも本物の日本文化を碁を通じて伝えられたらと願っています。現実的に、若者の囲碁人口の急増と碁の指導者不足であるうちは、日本と世界をいったり来たりの生活を続けることになりそうな気がします。

こんな状況をどのように日本側に伝え、どのような活動が可能か、残念ながら皆目わかりません。でも、今まで通り、やれるだけやってみたいと思っています。

この便りをお送りする皆々様には、いつも暖かい応援をいただき深く感謝しております。そして又、自分に課せられた「世界の碁」を広げる為に、日々、努力していく所存です。この1年間の活動報告を簡単にまとめたつもりですが、少し長くなりました。任期はあと3ヶ月ありますので、あともう一頑張りしたいと思います。

ウィーンは、11月半ばには雪が20センチも積もりました。日本も、そろそろ寒くなってきていると思います。どうぞ、体調にはくれぐれもお気を付けて新しいお年をお迎え下さいませ。

敬具

2007年12月吉日

小林千寿

祝・4連覇、渡辺竜王の近著から

 卑俗な表現と敬称省略をお赦しいただき、「碁打ち・将棋指し」を象徴する風貌の持ち主を古今の棋士から独断すれば、碁は呉清源、将棋は升田幸三(妖刀遣いと恐れられた坊主頭の花村元司も忘れがたい)。その後継者を探せば、碁ならウックン名人・碁聖か関西の旗手・結城聡あたり、将棋なら若くして亡くなった村山聖か渡辺明か。

 その渡辺棋士がこの13日、将棋界で賞金額最高の竜王戦4連覇を果たした。羽生善治王座・王将を中心とするスター棋士グループ、いわゆる「羽生世代」よりひと回りも下の23歳の若さだが、連続5期(または通算7期)で資格が得られる初の「永世竜王位」に“王手”をかけた。これに迫るのは名実ともに現役最高実力者と見られる羽生(通算6期)。この羽生が来期の竜王挑戦者になれば、両者の七番勝負は初代永世竜王を賭けての歴史的な勝負。これは見逃せない。

 折良く渡辺竜王の近著が見つかった。書名は『頭脳勝負——将棋の世界』(ちくま新書、2007年11月10日発行、ポケット版222ページ、税込み735円)。初級者やルールを忘れてしまった人も含めて多くの人に将棋の魅力を伝える目的で書かれているから少々かったるい感じ無きにしも非ずだが、第1章では「集中力のメリハリをどう保つか」「直感の精度」「封じ手を巡る駆け引き」など、第3章では「過去の大棋士」「同世代のライバルたち」など、さらに第4章では自戦記を軸にした対局中の心理状況などを散りばめて興味深い読み物に仕立て上げている。まだ読み終えていないが、竜王4連覇を祝して取り急ぎ前半のさわりをご紹介させていただこう。(以下『』で示す引用部分を多少はしょりながら、書き流します)

 『佐藤(康光挑戦者)は「は〜」「ふ〜」と1手1手ため息をつき、しきりにハンカチで顔をぬぐう。さらに「ちっ」(舌打ち)「あ〜」「いや〜」「ぷは〜」、そして△6九金には、ついに「あれ〜」と悲鳴のような声を発し、頭をかきむしった。渡辺(明竜王)も△7九角ではまだ勝ちを見極めておらず、天井を仰いで「は〜」と大きく息を吐き、秒読みに7まで読まれて「え、え、え」と慌てながら△6九同と。▲同玉には「う、う、うん」と首を捻って頭に手をやる。』(第19期竜王決定七番勝負第3局、担当記者による観戦記から)。

 『集中力が極限に達すると、このような、いわゆる、ランナーズハイの状態になります。この間、自分では何を口走っていたかは覚えていません。将棋は頭脳ゲームですが、そこには人間の戦いならではのいろいろな要素が含まれています。それはどんなものか。それがここからのテーマです。』

 そう言えば最近、“絶不調の人” かささぎさんから、対局中に「あっ、いやや〜」とか「何でやねん」とか「ベンチがアホやから」とか、ガキじゃあるまいし言うわけないやんか!と抗議されて首を絞められました。ご本人は何を口走ったか、まるで覚えておられないのだから仕方がない。私はひたすら謝り、やっとのことで魔の手から逃れたのです。(閑話休題)

 渡辺竜王は集中力を保つ方法として「ヤマの張り方」にも言及する。『相手の手番で有力な手が3つあり、どれを指されるかわからない局面での選択肢は、①100%の集中力で3つの変化を考える②集中力を落として3つの変化を考える③1つに絞って考える④どれを指されるかわからないから何も考えない——が考えられる。私は②を選ぶことが多いが、③④を選ぶこともある。特に「この手でくるに違いない」と確信めいたものがある時には③を採ります。ただし、当たる確率は…半分もありません。』

 『自分が考えていなかった手、つまり見落としていた手を相手が指してきた時はどうするか。①ここで考えてしまっては見落としたことを悟られてしまうので、考えはまとまらなくてもすぐに指す「気合重視」②見落としたことを認めるのは悔しいが、一から考え直す「冷静・無難」——。多くの場合は②が正解でしょうが、①でなければならない局面も存在するのが人と人の勝負というもの。(将棋の場合)プロ棋士の棋譜には、1手ごとに考慮時間が記されています。それに注目されれば、プロ同士の心理的駆け引きの一端が見えてくるはずです。』

 封じ手を巡る駆け引きも面白い。私は強制的に何かさせられることを生まれつき厭う性分だから、(万が一その立場になれば)封じ手はできるだけ回避したい。碁界全体でも私が見るところ、喜んで封じ手をする側に回る棋士は少ないと思うのだが、渡辺竜王は正反対。『封じ手をする側は1手先の局面を考えることができる。選択肢が多い局面で封じ手をして相手の意表をつくことができれば、2日目の朝に「一本取った」と精神的に有利になれる。問題は持ち時間との兼ね合い。封じ手まであと1時間の場合、封じ手の権利を行使したければ1時間余分に使わされる。誰が指しても同じ局面なら1時間も払う価値はないが、選択肢がいくつもあって見当がつかない場合、封じた側はその後の展開を午後6時〜翌朝午前9時まで考えられるからシミュレーション十分で臨める』と。

 次は直感の精度。『当然ながら、直感がいい人と悪い人がいます。少しは鍛えることが可能かもしれないが、ひらめきや感性の分野なので持って生まれたものも大きい。同じ人でも日によって違います。しかしこの感覚が悪くても読みの過程で挽回できる。例えば①正解ではない手が第一感だとしても、すぐにその手を捨てて正解にたどり着く②正解が第一感だけれど、決断に時間がかかってしまう——の両者では、結果は同じになりません。第一感が良くないと思ったら、それにこだわるのは良くないし、読みの過程を工夫することによって直感の弱さは克服可能です。』

 本書はこの後、「ミスと切り替え」「対局前の駆け引き」「調子の良し悪し」などへと進むが、私のつたない紹介はこの辺で打ちかけにしたい。後半には渡辺竜王からみた大棋士、ライバルの人物像、対局時の心理状況などがあって今すぐにでも読みたいのだが、じっくりと味わいながら機会があれば続編をまとめさせていただく(ザル碁の私がトップ棋士の立場に立って、生涯1度の「封じ手」をしたつもりでした)。

亜Q

(2007.12.16)

貂蝉拝月(ちょうせんはいげつ)

黒 小嫦娥 六目半コミだし
白 謫仙

 小嫦娥(しょうじょうが)は前に観月対局で紹介したことがある。聖姑たちとは休みの日が違うので、顔を合わせることは少ないが、今日は仕事を休んでの来楼であった。棋力はおそらくわたしより上であろう。
 いま黒が▲を打つ前は、白は黒2目を抜き、それで互角ではないかと思っていたが、アタリに気が付かず、白1と打ってしまった。
 いつでも2目を抜けるので安心していて、中央の黒を攻めながら右辺になだれ込む手を考えていたのだ。
 小嫦娥は平気な顔で白2目を抜く。小龍女なら「えっ、アタリよ」というのだが。
 打ち上げられて、タネ石を取られたことに気が付いた。ウワー、オワだ。
 ネット碁ではよくあるが、対面碁ではめったにない(かな)見落とし。取ったはずの黒石が活き返り、五十以上も違いそう。

 投了の場面だが、とっさに決心がつかず、もう少し打ってみようと白2。黒2目の飲み込みを見ながら、中央の黒7目を攻めるつもり。ところが黒3と切ってきた。だがここは切れない。
 黒3の1路下にアテ、2目アタリにすると黒はつないでしまった。小嫦娥は本当に気が付いていないのか。
 そこへ聖姑と小龍女が来た。
小嫦娥と聖姑は顔見知りだが、小龍女は初めてのはず。紹介した。
「……、嫦娥というのはかぐや姫のモデルといわれていて、月に住んでいる美女です」
 実は「蟾蜍(せんじょ)」というヒキガエルだ、というのは飲み込んだ。
「龍さんは、聖姑さんのところで働いているのでしたね。よろしく」
 わたしがある会社に勤務していたとき、小嫦娥は外注先であった。ドローソフト「イラストレーター」で、本のデザインをしている。二人の荷物を見て言う。
「なあに、それ」
「食品売り場のきのうの売れ残り。それと賞味期限の切れたものとか」
「あは、賞味期限なんて、きちんと管理すれば関係ないものね」
「でも売り物にする訳にはいかないから。碁が終わったら食べましょ」
「いつも聖姑さんたちが持ってくるのか。貧しい謫仙さんが負担できるはずないもの」
 おいおい、オレだって謫仙酒を提供しているんだぞ。失敬な。
 隣で聖姑と小龍女が対局を始める。こちらも再開である。

 白3・黒4、この時白5の手がある。これで取り戻したうえ、更に取石を増やした。これで勝負になったと思う。
 こんなに難しく考えず、白3のとき、白4でよかった。先に白5の手が浮かんだので、こうなってしまった。
 小嫦娥は動ずる風もなく、中央の黒を嫦娥奔月で逃げた。
 わたしは右辺星下に打ち込んだ。小嫦娥は低く貂蝉拝月で応じる。
 謫仙喝酒には文君当炉、落花流水には楊妃酔酒、詩仙在楼には玄機献詩。明らかに取りかけにきている。
 老虎渡河には昭君出塞、最後の狙い百花錯拳にもきっちりと文姫帰漢。わたしは投了した。
「黒2ツギは読み間違い?」と問うと、
「このままで終わりにしてしまうのも何ですから」と意味不明の言葉。

 碁会が終わると小嫦娥が「勝たして頂いたのでお土産。飲んで」と取り出したのは、「貂蝉拝月」ではないか。紹興酒の小さな瓶(かめ)である。大きな瓶ならば、紹興あたりでは嫁入り道具のひとつになる。
 紹興酒は糯米(もちごめ)で醸す。水は紹興市の西にある鑑湖の水でなければいけないという。
「謫仙喝酒(たくせん酒を飲む)」の一手だ。まろやかな味だった。

謫仙(たくせん)

(2007.12.8)

呉清源 −極みの棋譜−

 映画、「呉清源 極みの棋譜」を見てきました。
   監督:田壮壮   原作:呉清源著「中の精神」
 呉清源役の張震(zhang zhenチャン・チェン)が若き日の呉清源役にぴったり。日本語が上手すぎたかな。わたしより上手そう。ご存知のように呉清源さんは今でも日本語がたどたどしいところがある。それに比べれば上手すぎる(^。^))。雰囲気が実に呉清源さんらしい配役だった。
 映画はいろんなエピソードを寄せ集めた感じで、なんかまとまりがない。大河ドラマの総集編のような感じだ。あるシーンからいきなり関連のない次のシーンへ飛ぶ。あれはどうなったのと思っているうちに、また関連のないシーンに飛ぶ。
 原作を読んでいないので、意味が判りにくい。呉清源さんの著作「莫愁」はエッセイ集で短いバラバラな話の集まりなのだが、それを映画でやっているような感じだ。

 実は遅れて映画館に入った。ネットで見て、4時40分に始まると思い、4時20分ごろ映画館に着いたが、4時ちょうどの始まりだった。次の回まで待つのも大変なので、入ってしまった。
 ちょうど富士見の療養所のシーン。電気スタンドを点ける。そのスタンドが、昭和五十年代(?)ころの新しいデザイン。丸い台、フレキシブルな細い首、電球を包むような小さな傘、変形した電球。
 戦前の富士見にそんな洒落たデザインの電気スタンドがあったか? それがいきなり目に入ってしまった。
 そして、そこに見舞いに来た川端康成らしき人とススキの原での会話。わたしは観戦記者かと思ったが、どうやら川端康成らしい。
 川端康成には「呉清源棋談」とか「名人」などの著作があり、みずからも碁を打つ。呉清源とも親しい。川端康成らしき人はメモ用紙を持って観戦したりしている。
 千寿会では、ちかちゃんが川端康成に詳しい。実際に対局しているかも知れない。

 日中の狭間で悩む青年像。紅卍会に入り、後に爾光尊に入る宗教人としての呉清源も。
 本因坊秀哉との、天元・星・三三の対角線布石が出て、この時の本因坊秀哉の碁石の置き方(手つき)がおかしかったが、そこで終わり。
 木谷道場では「名人」の当時、つまり秀哉の引退碁の当時、18人の子供を預かって、内弟子としていた。その子供の碁を見ているとき、呉清源が訪ねてくる。呉清源にとって木谷道場は心の安まる所だった。
 木谷との十番碁で、木谷が目の前で倒れたのに、それに気が付かず考え込んでいる集中力は白眉。
 戦中戦後の買い出し、空襲など。
 呉清源はいないが、広島の原爆の下で戦った本因坊戦の話。
 爾光尊で警官を相手に暴れる男は「双葉山」なのかな、それにしては小さい。説明はなかった。バンフレットでは双葉山と書いてあるらしいので、どこかで「双葉山」と説明があったのを見落としたか。
 高川秀格との最後の十番碁は、始めただけで終わり。
 交通事故によって、打てなくなり、と言っても勝率はいいのだが冠に届かず、引退に至るまで。
 等々。

 そこで次の回を待つ。
 始めに呉清源師の現在の元気な姿。
 そして、物語の始まりは、少年の時、外から帰ってきてベッドに入るところ。
 ここでわたしは父親のために碁を並べる姿を期待した。右手で本を持って左手で並べる。疲れると、左手に本を持ち替えて、右手で並べる。こうしていきなりトップクラスの棋譜を並べ続けた少年時代。そのシーンはなかった。なんのために少年時代を撮したのか。
 そして、いきなり日本へ来てしまう。スカウトされるシーンもない。
 短い時間に凝縮するので、そうやって、ワンカットで飛んで行かざるをえないんだろうな。
 それでも呉清源の人柄や生き方が、はっきり表現されていたと思う。
 柄本明が瀬越憲作を好演。
 最後は、
「わたしの人生には真理と囲碁、このふたつしかない」
 現在90歳を越えているのに、碁の研究を続けていらっしゃいます。

参考
神髄は調和にあり −呉清源 碁の宇宙−
莫愁(もしゅう)
名人
呉清源

 なお「莫愁」を読むと、紅卍会は宗教団体ですが性格は赤十字に似ているように思いました。呉清源さんも「欲望に基づいた信仰は迷信である」と明言しています。

謫仙(たくせん)

(2007.11.23)

続・金庸氏の棋力は?

「岡崎由美先生と行く中国の旅」で寧波や杭州に行ってきました。
 以下はその中の「雲松書舎」の抜粋です。
 前に「金庸氏の棋力は?」という一文を書いたことがありますが、今回はその続きにもなります。

 雲松書舎は、杭州植物園の一部である。ここは金庸さんの別荘になるはずの所だった。建てたのは1996年、もう10年以上たつ。
 左上に棋室がある。

 まずは耕耘軒、柱の連は作品の題名が使われている。
右 飛雪連天射白鹿
飛狐外伝・雪山飛狐・連城訣・天龍八部・射鵰英雄伝・白馬嘯西風・鹿鼎記
左 咲書神侠倚碧鴛 (咲は笑と同じ)
秘曲笑傲江湖・書剣恩仇録・神鵰侠侶・侠客行・倚天屠龍記・碧血剣・鴛鴦刀

 棋室は狭い、と言っても8畳くらいはある。
 この部屋に入ったのはわたしだけだった。碁石は丸餅のように片面が平ら、なんとなく持ちにくい。
 碁盤・碁笥・碁石とも三流品に思える。その他の造りと比べてバランスが悪い。これは金庸さんが揃えたとは思えない。誰でも自由にさわれるよう三流品にしたのか。

 岡崎さんは碁を打てないのであるが、
「聞くところによると、金庸さんはプロ並みに強いそうです」
 1924年生まれ、すでに八十歳を越えるので、今ではそんなに打てないだろうが、「プロ並み」というのは微妙な表現だ。プロ並みになるには、子供のときに、一日十時間十年の勉強が必要という。金庸さんがそれほど碁に打ち込めたか疑問だ。もちろん例外はあるし金庸さんは天才なので、なんともいえない。日本なら地方の県代表クラスと考えたい。一度金庸さんの碁を見てみたいものだ。

 西湖に近く杭州植物園の中に土地を提供され(三千二百平方メートル)、千四百万元(二億円ほど)のお金をかけて、1996年に別荘を建てたが、そのまま使わず杭州に寄附。ローカルな観光地になっている。ちょっと「できレース」の気もするが、追求しないことにしよう。もっとも一晩は泊まったことがあるらしい。そうでなければ元別荘と名乗ることもできない。
「できレース」でなくても、このような土地を個人で所有することには問題がある。まるで主席や首相並みである。庶民の反発もあろう。
 わたしは02年に西湖に行ったことがある。その時は、蘇堤の西側は庶民の船が入ることは禁止されていた。政府トップクラスの別荘が並んでいるからだ。今は入れるようになっていた。それに近いような一等地である。
  −彼はなんの資格があって、この土地を私有できたのだ。−
 金庸さんが、建ててはみたものの、すぐに寄附してしまったのは、この問題に気か付いたためかも知れない。

参考 雑記帳に次の文があります。
笑傲江湖の碁
天龍八部の珍瓏
占か碁か

謫仙(たくせん)

(2007.11.18)

仙人碁睡

 秋たけなわの先月13日、埼玉県久喜市で開かれたNEC杯準決勝を観戦に出かけた。愛用の原付バイクにさっそうとまたがり、白バイに細心の注意を払いながら平均○kmオーバー(原付の速度制限は30Km/h!)のスピードで国道17号を一路北上。ポンコツマイカーより30分は早いだろうとの思惑は見事外れ、20分ほど遅れて会場に着いた。観客はざっと300人。席は後方だったが、遅刻のおかげで対局直前、和服姿の依田紀基九段とトイレで同席(?)し、扉の前で待機中の小林覚九段と話を交わす僥倖を得た。千寿会をさぼって駆けつけた甲斐があった。私はつくづく自らのツキに感謝した。

 ところが何と対局早々、愚かな私に抗(あらが)いがたい睡魔が襲った。終局後の小松九段の解説によると、絶不調を伝えられる覚九段が大胆かつ足早な石運びを見せ、後はがっちりシャッターを下ろせば楽勝という流れになったところで乱れ始め、大逆転を食らったらしい。その後に行われた高尾紳路名人・本因坊と黄イソ七段の対局は最後まで目を開けていたが、覚・依田という最もひいきの棋士の熱戦ハイライトは夢のかなた。「あき〜ら〜め〜ま〜しょう」と、私は昔のはやり歌「無情の夢」を口ずさむしかなかった。

 そう言えば、毎週楽しみにしている日曜昼下がりのNHK杯中継でも必ず20分またはそれ以上眠りこけてしまう。書も読まず、五十肩でゴルフを断念し、勤務先では窓際、家族からは構ってもらえず、ペットのカメだけが話し相手という幸せ薄い人生を送る私は、俗世間にあって仙人のような心境に到達、碁を唯一無上の友としている。テレビもニュースとスポーツ中継ぐらいしか見ないのに、なぜ選りによって碁の番組で寝てしまうのか。石音パチリパチリの合間、万波ナオたんの秒読みの声が妙なる子守唄になってしまうのだろうか。

 そんな懊悩を抱えて11月2日付の日経新聞夕刊を見ると、俳人・長谷川櫂氏による「千里の名馬」と題した文章(「プロムナード」欄)に目が留まった。兼好法師の『徒然草』に書かれた法然上人の教えが書かれている。私は以前、本欄で『囲碁徒然草』なる駄